ガンナーズ・ハイ

 赤道直下。空に照る太陽は容赦なく地面を焦がす。
 それなりに大きな都市なのに、人は殆ど見かけない。もっとも、こんな炎天を超えて灼熱といえる陽気に外出するほうがおかしいとも言える。
「暑い。むしろ熱い。こんなに熱いなんて聞いてなかった!」
 そんな中、黒のシャツにジャケットを羽織り、ジーンズを穿いた女が文句を言った。
 尻尾のように長いポニーテールを揺らし、担いでいた大きなアタッシュケースのような箱をぶんぶん振り回す。
「我慢しろよ。だいたい、場所を聞けば予想ぐらいできるだろ?」
 女の横を歩いていた男がいさめる。人好きのする笑みを浮かべてはいるものの、精悍な顔つきの男だ。手には旅行鞄が握られている。
 しかし、そんなものは目に入らない。目に付くのは、その奇態な格好だった。
「はいはい聞きました。赤道直下の日本の都市だってね。でも、熱いもんは熱い。あんたを見てると余計熱い」
 男はこの炎天下、黒の長衣を着ていた。
 歩くたびに裾が足に絡み、風が吹けばマントのようになびく。
 暑苦しいことこの上ない。
 時たま通る住民が好奇の視線を投げかけてくる。
 幾度も繰り返した光景にウンザリしながら、男は口を開いた。
「好きでこんな格好するかよ。まあ、快適だけどな」
 その言葉に不思議と嘘は無い。なぜなら、男は額に汗の粒一つ無いからだ。
 涼しげな横顔を辟易とした顔で女が見る。そして、
「あー、神様に頭でも掘られたんだ。ご愁傷様」
 と、勝手な想像で納得した。
 それからしばらく、二人は陽炎に揺らぐ道を無言で歩いた。
 南国の木が街路樹として植えられ、時たま吹く風に揺らぐ。
 街中では拷問のような太陽も、きっと海辺では印象も変わるのだろう。
 そんなことを考えるうちに、ある建物の前にたどり着く。
「ここでいいのかしら?」
 女の問いに、男は看板を見て断定する。
「ここだ」
 その建物は、いかにもな風体で、いかにもな門をしている。
 まださほど古くない看板には『ホテル アンダー・ザ・サン』という文字。
 宿泊料金の横には、休憩料金も記載されている。つまりはそんなホテルだ。
 二人は立ち食い蕎麦屋ののれんをくぐる気楽さで中に入った。

 クーラーの効いた部屋は、外とは切り離された別天地のようだった。
 部屋自体は満足できる広さと快適さで、趣味もいい。
 女――柴野光希は、この部屋に入ってすぐ、
「シャワー浴びる」
 とだけ言い、実行している最中だ。シャワーを浴びる音が聞こえている。
 その間、男――布上宗平は、ただ光希がシャワーを浴び終わるのを待ち、そわそわとしている――訳ではなかった。
 やることは多い。地図を頭に叩き込み、綿密とはいえない作戦を細かにシミュレートする。さらには、得物の手入れをする必要もある。
 事の発端は、約一日前にさかのぼる。
 起こった出来事自体は単純だった。武装グループが人質を取って、日本政府に無理難題を吹っ掛けているという、よくあるテロだった。
 それだけなら事の成り行きは至極単純になる。交渉して、失敗して、踏み込んで、運が悪ければ人死にが出る。そう、単純明快な図式だ。
 しかし、そうはならなかった。ちょっとした違いが、この簡単な構図をこじらせてしまっている。
 そのちょっとした違いとは、この場所が赤道直下の海上都市(メガフロート)だということだ。
 海上都市。それは、人工の島のことだ。現在一つの企業が独占した状態で製造を行っていて、五つが現状で都市として機能している。
 テログループは内々のうちに重要施設のみを制圧した。そのため、数万人の住民は自分が人質になっていることに気づいていない。
 テロリストの要求は三つ。捕らえられた同胞の解放。政治犯の亡命の容認。そして、海上都市の某国への移譲だ。
 どれもこれも、容認できるものは何も無い。第一、テロリズムに屈しないのは国際常識だ。日本も昔と違い、それに準拠する姿勢は崩さない。
 とはいえ、公表すれば住民の混乱は避けられない。しかも、そうなればテロリストが非人道的強攻策に出る可能性は高い。
 こうなると、住民の脱出は不可能のため制圧以外に終息の方法は無い。
 しかし、それはそれで非常に難しい。海上都市に配備された警官の数、装備、錬度、当てに出来る要素は無い。
 そこで、政府は対策として極秘に便利屋を雇い、交通封鎖スレスレを狙って海上都市に潜入させた。今では海流の乱れなど、もっともらしい理由で封鎖されている。
 仕事は二つ。制圧に向かう警官の直衛か、陽動だ。
 直衛はその名の通り、戦力として心もとない警官の護衛である。表向き名目は秘密の戦力補充だが、ようは盾や捨て駒だ。いないはずの便利屋が十人死んでもたいした事はないが、警官が一人死ねば国民からの非難や遺族への保障などで痛手を負うから、事前に防ごうというわけである。さらに、予想される人質を傷つけない為に隠密に行動することが前提となっている。
 陽動は相手の戦力分散を誘う。警察と直衛部隊は都市管制施設の制圧を行うので、それをスムーズに執り行わせるために別方面から重要施設の制圧を目指す。当然、都市管制施設が最大目標だということはテロリストも理解しているだろうが、だからといって他の施設を奪還されていいわけではない。そうなれば当然、戦力を割かざるを得ない。
 今回、二人が割り振られたのは陽動だ。内容は動力炉――正確に言えば、動力炉制御室の制圧。要請があれば、周辺施設の制圧への変更もある。
 動力炉制圧に二人とは少ないように感じるが、当然理由はある。
 実のところ動力炉単体では無意味に等しい施設なのだ。むしろ、周辺施設である送電施設や変電施設のほうが遥かに重要度は高い。そのため、この方面の陽動の多くはそこへ割り振られている。
 そして、テロリストの要求のうちに『海上都市の某国への移譲』があるのならば、動力炉へ手出しは出来ない。止めれば再起動まで十数日、壊せば修理点検全て含めて数ヶ月から一年は時間がかかる。爆破などの完全破壊はもってのほかだ。
 さらに、楽観できる事実が一つ。万が一テロリストが自棄になって動力炉を爆破したとしても海上都市は沈まず、数十の階層のうち下位層域にある動力炉から上下二、三階層程度しか被害は及ばない。隔壁によって厳重に区分けされた海上都市の中でも、殊更動力炉付近には丁寧に手が入っているのだ。最悪、手間と時間と金はかかるが動力炉ブロックごと交換すれば事足りてしまう。つまり、動力炉の破壊はあまり上等な脅しになりえないのだ。
 以上の理由から、動力炉へ割く戦力は必要最低限とされた。
 そのため任務も大雑把だ。指定された時間に、指定された通用口から進入。臨機応変に通路を選択して可能な限り動力炉へ進行し、あわよくば完全制圧を行う。それが不可能でも指示がなければ可能な限り敵をひきつけ足止めする。と、こんな感じだ。
 必要な限り地図を記憶し終え、宗平はそれを脇にやった。
 そして、旅行鞄の中から複数の得物を取り出し、分解整備する。これは数え切れないほど行った作業だ。目をつぶっていても出来る。ちなみに、武器の持ち込みは政府からの仕事ということで大分楽に行えた。変わりに、持ち込む武器は申請が必要で少々面倒くさかったのが難点だ。
 通路や敵規模に対する対応、さらには退き際まで考える。当然だ。便利屋は慈善事業じゃない。見合った報酬も無く義理で動くことはしない。
 そのとき、水音が途切れた。どうやら光希がシャワーを浴び終えたらしい。
「セーフハウスにしちゃ気の利いた場所だね。宗平も浴びる? なんなら背中でも流そうか?」
 宗平の背後から声がした。明らかにからかって楽しんでいる。
 次いで、衣擦れの音が聞こえた。どうやら、今ここで着替えをしているようだ。
 ちなみに海上都市では海水をろ過して生活用水にしている。この技術が確立されたことも、海上都市開発に大きく貢献しているといえる。
「悪いがな、誰にでも食指が動くほど飢えてなくてね」
 背を向けたまま宗平が返事をする。手は変わらず分解整備を流れるように行っている。
 対して光希も、さほど気にした様子も見せずに着替え終えた。
「で、コースとかは決めたのかな」
 光希は脇に寄せていた地図に顔を寄せた。
「寄り道しながら目標を目指す、で十分だ。仕事は制圧じゃない。陽動だからな」
 地図の上に指を走らせる。想定された箇所にいる敵を引き付けつつ、逃げ道は常に確保できるように考えられたコースだ。逃げることを前提にしているとも言える。
 説明を受けなくてもその意図を理解した光希は、感心したように微笑んだ。
「へえ、こんな作戦を立てられる人が政府関係の仕事を請けてるなんて、意外だね」
 政府関係の仕事というのは、内容のわりに高い報酬が得られることが多く好まれる。ただ、それを受けるにはいくつもの審査を潜り抜けなければならない。結果として、能力よりも『使いやすい』人物に優先して仕事が回る仕組みとなっている。
『使いやすい』とはつまり、言うことは聞き、最低限の情報でも素早く理解し、かつ裏を考えない人物の事だ。
「昔偶然助けた奴が政治家でね、楽でいい稼ぎになる仕事が増えて大助かりだ。それに、それはこっちの台詞でもあるんだぜ?」
 宗平は整備を終えた得物を構えてその出来を確かめながら、一瞬だけ目線を光希に向けた。彼女は大きなアタッシュケースのような箱――ハードケースの中から自身の得物を取り出し、整備を始めていた。
「あたしは今回が初めて。仕事で近場にいてさ、数合わせで呼ばれたのよ」
「そいつは結構。前に公認の奴と組んだことがあるんだが、その時は散々だったからな」
 カートリッジに弾込めしながら、ウンザリとした顔で呟く。
「奴らは従順で賢く愚か。まったく、同業者として情けないぜ」
「良かったじゃない。今回は違ってさ」
 自信に満ちた声が聞こえた。
「あんたが口だけじゃないならね」
 見ればそこには、強い視線で睨むように笑う光希がいた。
「どうだかな。まあ、信用はさせてもらうぜ。せいぜい俺に楽させてみろよ」
 宗平も自然と強気な笑顔で対応する。
 仕事が始まるまでの時間は三時間を切っていた。



 銃声。銃声。破砕音。銃声。悲鳴。銃声。
 場が銃声で支配されていた。
 車で行き来することすら可能な広い通路内にバリケードを築き、そこから顔を出しつつ銃撃を繰り返すテロリスト。
 そしてそれに相対するのは、堂々と身をさらす宗平だ。
 手に持つ得物は銃。FNファイブセブン。高い貫通力を持った拳銃だ。
 しかも、よく見ればかなり手が加えられていることがわかる。フレームの強化、カートリッジの改造、手の形に合わせたグリップの改良、その上での軽量化などだ。
 既に手の一部といえるそれを構え、銃撃をものともせずに宗平は前進する。
 素早く狙い、顔を出して銃を撃つ一人を三射で撃ち抜いた。
 テロリストは困惑していた。十人で築いたバリケードが、たった一人に蹂躙される事実に。撃っても撃っても当たらない宗平に。既に四人になった自分たちに。
 既に手数は足りず、しかし相手は変わらない。顔を出さずに手だけ出して、何とか弾幕を維持するのが手一杯だ。もはや確認する余裕もない。
 残された四人が恐怖も露に愚痴る。
「くそっ、どうなってやがる! 何で当たらねぇんだよ!」
「俺に聞くなよ!」
「畜生、こんな武器回しやがって……」
「それを言っても仕方ないだろうが! 早く何とかしやがれ!」
「わめくなよ。鬱陶しいぜ?」
 ありえない五人目の声に全員が振り向く。
 そこには、黒い長衣を着てバリケードに悠々と座り、銃を構える男がいた。
 銃口と目が合った一人が叫ぶよりも早く、弾丸はその頭を吹き飛ばしていた。
「まずは銃を構えろよ。それともお前らは、見ただけで人が殺せるのか?」
 その声でようやく気づいたのか、慌てて銃を構える。が、
「遅いぜ」
 さらに一撃。残りは二人。
「構え損なっただけでこれだ。高い授業料だな」
 まるでやる気のない表情を見せながら嘯く。
 気圧されたのか、はたまた既に戦意などないのか、残された二人は銃口を向けたままで引き金を引くことが出来ない。
「来世ってのがあるなら覚えとけよ」
 動きは、唐突だった。
 いきなりバリケードを蹴飛ばすようにして前のめりに跳ねる宗平。
 急な動きに訳もわからず構えた銃を乱射する二人。
 しかし、狙いは定まらない。距離は縮んでも、今度は相手が素早く動いている。
 対して宗平は、滞空したまま発砲。一射、二射。そこで、銃のスライドが引いたままになる。
 黒の長衣を悪魔の羽のようにはためかせ、着地。同時に、二人が崩れ落ちた。
「おまえら向いてないぜ、この稼業」
 その時、場を支配するのは銃声ではなく静寂となっていた。
 空になったカートリッジを排出し、新しいものを装填する。そのままスライドは引かずに、セーフティをかけた。
 その時、場違いな拍手が聞こえてきた。
「すごいすごい。五分もかけずに十人のバリケードを無力化かぁ」
 光希だ。ハードケースを背負い、右手には得物を持っている。空いている手で得物を持った手の甲を叩いていた。
 互いが互いの力量を知るため、今回は様子見していたのだ。
「……分かってていってるだろ」
 憮然と宗平が言った。不機嫌さがにじみ出ている。
「射的以下だ。銃を持っただけで人が殺せるって勘違いした奴の相手は」
「まぁ、そうだね。構え方も狙い方もまるで知らなかったみたいだし」
 そう、先ほどの銃撃戦は、宗平が何かをしたから当たらなかったわけではない。最初から当たる弾道に無かっただけの話なのだ。
 光希が死体から銃を剥ぎ取った。
 それは、粗悪なコピーを重ねられた、原型がはっきりしないような代物だった。
「安物の拳銃(サタデーナイトスペシャル)か。かなり出来は悪いけど、使えないほどでもなさそう」
 よくよく見れば、ベレッタに見えなくも無い程度の自動拳銃だ。
 光希はそれを持って、いろいろ構えてみる。
「材質は安物だね。弾道安定しなさそう。でも、照準器(オープンサイト)も一応付いてるし、狙えないってほどでもないかな?」
「訓練次第だと思うけどな。けど、まともなガンマンならそれで満足はしないな」
「そもそも狙わずに撃ってたけどね。心構えだけは一人前って事かな」
「逃げないだけタチが悪いぜ。胸糞の悪い仕事だ」
 アレじゃ逃げられそうもないけどね、と光希は言って、銃をさりげなく懐に収めた。
「まあ、お仕事だし、しょうがないっちゃしょうがないけどね」
「そうだな。とりあえず、報酬分は働かないとな」
 クルクルと、まるで西部劇のガンマンがするようにファイブセブンを回し、そして後腰にあるホルスターに銃を納めた。


 広い通路だが、意外と道は入り組んでいる。
 具体的には、地下に下る幾つかの通路は遠回りする必要があったり、特定の下層に行く道が決められている、などなど。
 防犯という意味合いも大きいが、これはどちらかといえば防災の色が濃い措置だ。
 万一浸水した場合も、道を制限することでその速度を減じさせ、隔壁閉鎖をするだけの時間を稼ぐためだ。
 そのため、やたら広い道を長い距離歩くことになり、いくら早く突破していっても時間が余ることは無い。
 ただ裏を返せば、この広大さゆえにテロリストも要所要所にしか人員を配置できないということでもある。
 何回か曲がり角を曲がり、階下への道に絞られてきたところで、その読みどおりに人の気配が漂ってきた。
 しゃべっているわけではないが、慣れていない人間独特の緊迫感が曲がり角からでも伝わってくる。
 光希が視線で合図する。
 約束どおり、今度はあたしの番。
 手に持つ得物を両手でホールドする。
 FN MINIMI SPW――タクティカル・マシンガンだ。二脚(バイポッド)などによって固定して支援火器としても使える強力な武器である。
 確かに軽量化によって鍛え上げられた兵士なら持って使うことも不可能ではない。しかし、どう見ても細腕の光希に使えるようには見えなかった。
 そんな事を全て無視し、光希がT字の曲がり角から飛び出す。
 瞬間、構えたSPWがフルオートで火を噴いた。
 音が一繋ぎに聞こえるほどの速射。あっという間に足場に空薬莢が溜まる。
 その弾を供給する弾薬ベルトは、背負ったハードケースに繋がっている。
 SPWを走りながら構え、反動をものともせず、力で強引に銃口を安定させ、弾薬の詰まったハードケースを背負っての戦闘。弾薬ベルトの給弾にも捩れないようにするコツがいるはずだ。
 見ながら、宗平は自分にも可能かどうか考えた。
 結論はすぐ出る。
 立って使うくらいなら出来るだろうが、どれだけ重量があるのかもわからないハードケースを背負って走ったりするのは、流石に無理だ。
「はいお仕舞い」
 と、どこからあの力が出ているのか考えるうちに、バリケードは陥落していた。
 それを見届け、宗平が光希に近づく。
「その辺の事務室かなんかにあった椅子や机じゃ防げ……なにしてるの?」
 穴だらけになった原材料家具、元バリケード、現粗大ゴミを見ていた光希の腕を、宗平が興味深そうに掴んでいた。
 ジャケット越しに軽く押すと、ふにふにとした感触。多少は筋肉質だが、女性らしさは微塵も失っていない。
 しばらくふにふにと揉んだあと、納得がいかないといったふうに首をかしげた。
「この筋肉の仕組みを解明したら、何かしら科学の発展に繋がるな」
「なんかわかんないけど、馬鹿にされた気がする」
 ジト目で宗平を見上げる。心なしか銃を掴む手にも力がこもったように見えた。
 当然撃つつもりではなく、からかわれて手に力が入っただけのことだ。トリガーからも指は外れている。
 しかし、それを感じて宗平の手が反射的に銃を求めて動く。
「冗談は無しにしようぜ。そいつを使った冗談を受け流せるほど、俺は器用じゃないんだ」
 目はSPWから離さない。準臨戦態勢といったところだ。
「あ、ごめん。そんなつもりじゃないから安心してよ」
 光希は敵意がないことを示そうと手を緩めようとした。
 その瞬間、目に明確な意思が宿った。
 撃つ、という意思だ。
 それに刹那遅れてSPWの銃口が持ち上がり、トリガーに指がかかる。
 宗平もその反応に負けていない。ほぼ同時に先ほど使わなかった後腰の銃を引き抜く。
 SIG P226。堅牢で精巧な作りで、屈指の命中精度を誇る銃だ。そこが気に入り、宗平はバックアップガンとして保持していた。こちらは殆ど無改造だ。
 先ほど抜いたファイブセブンと違い、チャンバー内に弾は込めてある。セーフティを構える一瞬までに外す。
 そして、二人同時に引き金が引かれた。
 宗平は来た道へ、光希は進む道へ。
 次の行動も迷いがない。二人同時に身を隠すべくバリケード内に素早く飛ぶ。
 そこで互いを背にし、互いに逆の正面を向く。
 光希はどうやら防弾性能もあるらしいハードケースを盾に、宗平は一番分厚くて高そうな木製の机を盾に隠れる。その机は、先ほどの掃射に耐えて一応原形をとどめていた。
 ハードケースに衝撃。敵弾が命中したらしい。
「足音が聞こえなかった。気配もギリギリまでなかった。まいった、完全に不意打ちだよ」
「ああ、少しはやれそうだ。こうして囲まれたわけだしな」
 そう、二人が気づかないうちに増援が駆けつけていたのだ。
 どうやら持っているのはアサルトライフルやサブマシンガンのようだ。的確な射撃で、その場に釘付けにされる。
「何人かわかる?」
 銃撃の合間を縫ってSPWで射撃し、威嚇を繰り返しながら光希が話す。もし囲まれていなければ火力は上なのだが、いかんせん背中を撃たれる可能性がある現状ではこれが精一杯だった。
「俺の前に二人、そっちの前に四人ってとこか。俺の前は両サイドに一人ずつだ」
 宗平も光希に合わせ、初弾を装填しなおしたファイブセブンとSIGで射撃を繰り返す。
 しかし、道幅二〇メートル、敵のいる後から前までざっと百メートル。宗平たちはそのほぼ中心にいる。光希のSPWはともかく、ハンドガンでこの距離は絶望的に遠い。
「そう。こっちは右一人、左三人」
「まあ、陽動は成功してるってこった」
 数秒もたたずに双方から息の合った射撃をされ、すぐに頭を引っ込めることになる。
「どうする? これ以上増援が来たらジリ貧だよ」
 再び弾切れになった二挺にカートリッジを装填し直していた宗平に問いかける。
「その机だって、そう長くは持たない……」
 そこまで言って、光希は気がつく。
 宗平は、微かに笑っていた。
 それはこの状況を不利とも思っていないような、力のある薄い笑みだった。
 しかし、この状況でどのような打開策があるというのか。
 二挺のスライドを引いて初弾を装填しながら、宗平が口を開く。
「一五秒耐えろ。それで状況を変えてやるよ」
 え、と光希が声を出すまもなく、宗平はバリケードを飛び出した。

 男が一人、バリケードを飛び出して駆け寄ってくるのが見えた。
 その暴挙に、テロリストの片方がほくそ笑む。
 何の策があるのかは知らないが、これで一人終いだ、と。
 そのテロリストの相方がサブマシンガンを乱射。自分はアサルトライフルを三点バーストで狙い撃つ。
 こういうとき、頭は狙わない。確実に止めるために体の中心――腹を狙う。
 テロリストの手に、命中した手ごたえ。
 見たところ、防弾チョッキは着込んでいない。あの男はここで倒れるはずだ。
 しかし、倒れない。
 速度を落とさぬまま、黒衣をはためかせ、疾駆する。
 その光景にテロリスト二人は絶句する。
 ありえない。たとえ防弾チョッキを着込んでいたとしても、サブマシンガンのピストル弾はともかく、ライフル弾を止めることは出来ないはずだ。
 不死身か。無敵か。そんな人間、現実にいるわけが無い。しかし、奴は止まらない。
 混乱した頭が射撃を中断している数瞬で、男は二人がいる曲がり角までたどり着いた。
 両角に向かい両腕を平行に広げる。
 瞬間、再び冷静さが戻る。その冷静さで、状況を分析する。
 それが再び、自分たちの勝利をささやいた。
 そう、たとえ何らかの手段で弾を防いだとしても、これが限界だ。
 確か男が持つ銃は右手がファイブセブン、左手がSIGのはずだ。そして、自分が立っているのは左。
 ファイブセブンは五〇メートル以内ならVAレベルの防弾チョッキを貫通するだけの性能を持つ。しかし、SIGにその性能はない。
 距離は互いに十メートルずつはある。この距離で激しく動きながら、不安定な姿勢で、しかも片手で頭部を狙い撃つなど不可能だ。つまり、狙いは先ほどの自分たちと同じく腹部。
 それなら、相方には悪いが、自分は生き残る。その隙にフルオートで撃てば、この距離なら高確率で頭部なり脚なりを撃ち抜ける。
 着込んだ防弾チョッキがこれほど頼もしく感じたのは初めてだった。
 セレクターをフルオートに変更し、構える体制に入る。
 長く引き伸ばされたその一瞬に、様々なものが見えた。
 右手には思ったとおり、ファイブセブン。
 それを見て、恐らく自分と同じ考えに至り、違う結末を知った相方の青ざめる顔。
 左手で持つ銀の銃。
 銀?
 そんなはずはない。SIGはそんな色をしていない。では、あの銃は?
 双方の引き金がゆっくりと引き絞られた。

 宗平の両腕の延長、二人の男が絶命する。
 右の一人はファイブセブンで防弾チョッキを穴だらけにされて、力なく崩れ落ちる。
 左の一人は先ほどまで居た場所にはいない。吹き飛ばされて、壁際で絶命している。
 その衝撃で痺れる左腕をちらりと横目で見た。
 そこにある銃は、さきほどのSIGではない。雄雄しく、力強い、銀のリボルバー。
 トーラスM454、通称レイジングブル。貫通力はないが、その威力は凄まじい。主だった血管に当たれば血は逆流して心臓を破裂させ、防弾チョッキを着ていてもその衝撃で内臓は破裂する。過剰殺傷能力を持つ、三挺目の銃だった。
 痺れる左手を無視し、衝撃でバランスを崩した右へと倒れるように飛ぶ。
 そのまま倒れ、肩に衝撃。同時に銃弾が壁を叩いた。
 間一髪だ。肩を支点にくるりと立ち上がり、壁際に立つ。銃撃はまだ続いている。
 裏を返せば、それは焦っているという事だ。両サイドを押さえた有利な状況から、一転人数で有利でも火力で劣る不利な状況に追い込まれたのだ。
 サブマシンガンを奪い、残弾を確認。心もとないカートリッジを捨て、死体が持っていた新品へと交換する。レイジングブルは左腿のホルスターにしまった。
 そして目を閉じ、体の力を抜き、深呼吸を一つ。
 頭で数えていた秒数は、現在一三。
 体の隅々まで神経が接続される感覚。
 一四。
 抜いていた力を徐々に籠める。
 一五。
 目を開く。同時に、勢いよく射線に踊りだした。
「どうだ、まだ生きてるか!」
 ファイブセブンとサブマシンガンを大雑把な狙いで乱射。敵の頭を押さえる。
「当たり前……って言うか、時間に正確だね!」
 一瞬止んだ銃撃の隙に光希が顔を出す。同時に、ハードケースに二脚でSPWを固定し、左通路に向かい銃撃を開始した。
 形勢は完全に逆転する。
 宗平は残りを片付けるために百メートルを一気に駆け抜ける。が、既にそこには誰もいなかった。
 それを見て射撃を止めるよう手で合図した。光希が射撃を停止する。
 確認するべくハードケースを担いで宗平の下に駆け寄る。一応、死体を含めた周囲の警戒も怠らない。
 逃げたことは不思議ではなかった。要所でもないここを命がけで守る理由はないからだ。
 慎重に宗平の元へたどり着いた光希は、開口一番に、
「ところで宗平、何発か受けてたみたいだけど、なんで平気なの?」
 と、訊ねた。
「まずは心配しろよ……いいけどな。このコートが特殊でね」
 宗平はコートの袖を掴んでみせる。
「まだ出回ってない、世界でも数着しかないタクティカルコートだ。なんでも、生地の隙間にある流体装甲が衝撃を拡散するらしいぜ」
 他にも、武器やカートリッジの収納を容易にする工夫や、ある程度の局地戦にも耐えられるように温度を一定に保つ保温効果があり、防刃性能などもあると、宗平は説明した。コート形式なのは、保温と脚も敵弾から保護するためだ。
「なんでそんなもの持ってるのよ」
「アルバイトだよ。性能テストを非公式に受けるってやつだ」
「へぇ。報酬がいいなら、私もしてみようかな」
 興味深げにコートをいじくりながら、光希が呟いた。
「にしても、厭な感じだな」
「ん?」
「いや、いい。どうせ思い過ごしだろうからな」
 増援で駆けつけた者達の状況の判断や見切りのよさは、訓練された兵士のそれだった。対して、バリケードに張り付いていたのは、チンピラが銃を持った程度でしかない。
 この差に宗平は、不穏な違和感を一瞬覚えていた。なぜなら、通常この手の武装系グループならばある程度以上の訓練を積んだ上で使われる。しかし、まるで二つのグループが存在するかのように錬度の格差が大きいためだ。
「そう? ならいいんだけどね」
 しかし、顔にはおくびも出さなかったため、光希はさほど気にしなかった。


 二人は動力炉へ向かい前進していた。
 光希がSPWで大雑把に制圧する。
 宗平はその取りこぼしを正確に射撃する。
 光希の火力、宗平の判断力と射撃性能。雑ながらも相性のいいコンビだった。
 いくつかのバリケードと偶発的な接敵の突破を繰り返し、動力炉は目前まで迫っている。
 しかし、二人の中である種の予感が確実に芽生えていた。
 それに耐えかね、光希が声に出す。
「おかしいよね」
「ああ、どうにも落ちつかないな」
「何回ぐらい戦ったっけ?」
「偶然も含めれば二〇くらいか。囮に呼び寄せられたとか、そんな感じじゃないな」
 そう、あまりにコース上の敵が多いのだ。
 二人合わせた殺害人数は既に五〇以上。全体がどの程度の規模かは不明だが、並みの仕事であれば五回片付けてお釣りが出る。もっとも、そのスコアのうち普段仕事で出会う程度の相手は一割程度しかいなかったが。
「俺は戦争をするとは聞いてないけどな」
「あたしも。どうなってるんだか」
「関係ない、って普段なら言うところだがな……到着のようだぜ」
 最下層、動力炉制御施設の扉が目の前にあった。
 光希が既に渡されていた鍵で扉を開ける。非常用の扉なので、手動だ。
 二人は扉の両サイドに身を隠す。宗平がドアノブを捻って扉を開けた。
 沈黙。
 何も起きないことを確認し、背中合わせになり突入する。宗平が前を、光希が後をそれぞれカバーしあう形だ。
「誰もいない?」
 そう、そこには誰もいなかった。自動化された機械群が静かに唸り、制御パネルに無味乾燥な表示がいくつもされているだけだ。
 現状ではなんともないが、完全に自動化されているわけではないので早期に人員を配備する必要がありそうだった。
「本当にそうなら楽でいいけどな。とりあえず連絡するぜ」
「うん。見張りは任せて」
 作戦の進行具合や内容を悟られないため、無線や途中での連絡は禁止されていたが、一応目標への到達と制圧が完了したので、宗平は連絡を取るために部屋の内線電話を探し始めた。
 一方光希は、ハードケースを開けて残弾を調べていた。
 十分すぎるほど用意してあったはずのそれは、既に一〇〇発を切っている。
「ちぇー。弾代だって安くないのに……」
 光希の頭の中では、いかにしてこの報酬を上乗せさせるかの算段が初めっていた。
 が、上の石頭を説得する方法が思い当たらず、断念する。政府関連の仕事をしたという箔と、繋がりが出来たことが追加の報酬だと、無理やり納得することにした。
 そのままハードケースを担ぎ、非常口の鍵を閉めて出入り口付近に陣取る。
 静かにしていると、余計な思考が頭を徐々に蝕む。
 光希とて無能ではない。先ほどから宗平とまったく同じ疑問は感じていた。
 この仕事には、不可解な点が多い、と。
 もし最初から数で制圧するだけの無能部隊であれば考えるだけ無駄なのだが、初期の手際の良さや時たまいる訓練された兵士が気にかかる。
 不明な点の一つは、手際の良さに比べてその後の維持がお粗末過ぎること。明らかに訓練された部隊が手際よく事を進めた手本のような開始から、明らかに不手際な後手に回った交通封鎖。それに、殆ど訓練されていない兵隊。多すぎる動力炉の防衛人員。などなど。
 考えるだけでは答えは出ない。もしこのまま仕事が終わるなら、それはそれでどうでもいい問題であるのは確かだった。
「はっ、そうかよ。やってくれるぜ」
 その時、電話を力強く叩きつけた音と毒づく声が聞こえた。
「どうしたのー?」
 光希が駆け寄る。宗平は、さもおかしそうに笑みを見せていた。
「状況報告してたんじゃないの? 他の所は? なに笑ってるの?」
「そう矢継ぎ早に質問されても、俺の口は一つだけだぜ。話すから静かにしてくれよ」
 時間はないから手短にだがな、と言って宗平は制御版の上に腰掛けた。
「状況報告ついでに進行状態を聞いてみたら、他はとっくに制圧済みだそうだ。抵抗らしい抵抗もなく、あっさりとな。人質は一人も居なかったそうだ。で、こっちの状況も話してみたら、血相変えてオペレーターが言ってきやがったよ。
『それでタレコミの真偽がわかった。テロリストの目的は海上都市の破壊らしい』
 ってな」
「破壊って……そんな、意味無いじゃん」
「ところがな、そいつが言うにはどうもこのテロはテロリストの仕業じゃなく、ライバル企業の仕業だそうだ」
 重大な事実を淡々と宗平が話す。この手の話に興味がないのだろう。
「一つ造るのにも莫大な予算が下りるから、出遅れた企業は躍起になってるってヤツだね。まあ、独占してる企業も、強引な方法で今の状況を手に入れたって聞くけど」
「そうらしいな。目的は、破壊による信用の失墜だそうだ」
 光希は、ふぅんと相槌を打った。表情は明らかに冷めている。
「そのオペレーターと即行で上が分析した結果では、強弱兵隊の二つは実際別物で、無害などっかのテロリストを騙して使ってるのと、企業に雇われたプロの二種類だろう、だと。
 それと追加の仕事だが、
『どこかに爆弾を仕掛けた部屋があるはずだから、それを見つけ出して解除か、処理班に連絡してくれ、報酬は追加する』
 だそうだ」
「それはお得な話だね」
 それきり、二人とも無言になる。時間がないといったはずの宗平も、その場から動こうとしない。
 しかし、そんな沈黙も長く続かない。一分ほどで宗平が口を開く。
「さすがにわかってるか……。さて、ここまでは建前の話だ」
「馬鹿にしてる? そんなあからさまな話、信じろって言われても無理だよ。それじゃ人質がいない理由にならないし、せいぜい話半分って所かな」
「どこが真実だと思う?」
「爆弾を使って破壊、って所かな。評判を落とすだけなら動力炉の停止か、都市管制システムの基部に直接ウィルスを打ち込むとかのほうがいいよ。わざわざ手間がかかる上に解除される可能性も高い爆破なんて、嘘をつく意味が無いし」
「あと、兵隊のくだりも合点がいくな。問題は首謀者とタレコミだが……」
 言葉を切った宗平に、光希が頷く。そして、言葉をつなげた。
「あんまり今は意味無いね。さっさと爆弾見つけて逃げ出そう」
「そうだな。ったく、俺たち便利屋も馬鹿にされたもんだぜ。あの程度の嘘で騙しきれると思われてるんだからな」
 毒づきながら、宗平は持ち込んだ地図を広げた。この周辺なら殆ど覚えてはいるが、互いに意見を交わすためには必要だった。
「管制のチェックによると、動力炉への直接の進入はないらしい。アナログ式のチェックだから簡単には誤魔化せないとも言ってたな。ってことは、考えるべきはそれ以外で効果的に動力炉をぶち壊せるのはどこか、だ」
「そうすると……整備用の通用口付近かな、構造上、一番壁が薄いし」
 指先で目標をなぞる。しかし、その指はそのままどこへ止まろうともしなかった。
「けど、本命過ぎるね。しかも道が多いから、守るのが大変そう」
「ああ。それに、わざわざそこに仕掛けるくらいなら、覚悟して中に仕掛けたほうがいいだろうしな」
「じゃあ、同じ理由で周辺も無いかな。となると……」
 宗平は視線で、光希は指で地図を探る。近場でなく、なおかつ動力炉に損害を出せる一点を。
 しかし、動力炉は頑丈だ。人員が入れる箇所でも大量の爆薬が必要なのに、それ以上に防護された壁に守られたほかでは論外だ。
 ならば、ほかに壊す方法があるはず。二人の視線は次第に動力炉から離れていく。
 そして、それは同時に見つかった。
「倉庫だな」
「倉庫だね」
 それは、二階層下の海上都市整備用器具の備蓄場だった。
「破壊による停止が目的なら、ここが一番それらしいな」
 宗平は指を倉庫の壁になぞらせる。その横には、無数の巨大なパイプが走っていた。
「本体の破壊じゃなく、冷却施設を壊しても結果は似たようなものにできるしね」
 そこは、動力炉の膨大な熱を海水などによって冷却する施設の一部、冷却用の海水を汲み上げる設備だ。ここで汲み上げられる水は冷却水全体の三割近くにもなる。現状の人員がいない状態では、冷却が追いつかなくとも壊れるまで加熱されるだろう。無論それを防ぐ装置もあるだろうが、人の目と違い機械をごまかすのは容易い。
「メルトダウンするのかな、これ」
「その前に以上加熱すれば施設が壊れて緊急停止すると思うぜ。本体の異常加熱じゃなく、単に冷却が間に合わないだけだからな。ま、専門家じゃない俺たちがそんなこと気にしてもどうしようもないけどな」
 宗平が地図を折りたたむ。そして、二人同時に立ち上がった。
「さて、アタリかどうかは確認しないとな。せっかくのボーナスがパーになる前に」
「とりあえずまた連絡して、制御室に早く人員を配置してもらおう。ハズレでも、早く配置しないといけないのは一緒だし」
 そういって、光希は宗平が先ほど使っていた電話で連絡を入れる。宗平は残りのカートリッジと残弾を確かめる。
 ファイブセブンとSIGは共にカートリッジが残り一つ。万全を期すため現在のカートリッジを捨てて交換する。これで残弾はファイブセブンが二一発、SIGが一六発となる。レイジングブルは既に持ち込んだローダーを使ってしまい、残りは三発だけだ。
 そこで宗平は、自分の息が少し上がっていることに気付いた。どうやら、仕事も終わりが見えた先ほど、気を抜いてしまったらしい。
 ごく些細な違いだったが、追加の仕事が残っている。一瞬でも腑抜けた自分に気合を入れなおす。
 そして、深呼吸を一つ。全身の細胞に酸素が行き渡る。意思で感覚を変えられるほどの集中と、張り詰めた意識が戻る。
 ちょうどその時、光希が電話を終えたようだ。指で完了を知らせてくる。
 それを合図に、宗平は倉庫へ向かえる最短の出入り口へと歩き出した。光希はそれに小走りで付いていく。


 倉庫の前まで、二人は最後の抵抗を予想して身構えていた。
 しかし、それに反してあっさり過ぎるほどすんなりと到達してしまう。
「なんか、ここまで手薄だと不安なるね」
「ああ。カンも条件もここだって言ってるが、誰も守りに回ってないのは不気味だな」
 鉄製の巨大な扉。修理器具と材料の備蓄庫だけあり、重機が楽に通れるだけの余裕はあった。横にセキュリティーがあるものの、それは簡単なものだった。
「開けるぜ」
 進入時に使った擬似職員用パスで扉を開ける。
 重い扉が耳障りな金属音を伴い、ゆっくりと開いた。
 銃を構え、宗平が部屋に入る。光希はその後ろにつき周囲を警戒する。
 部屋は長方形でやたらと大きく、天井も高かった。それでも様々な器具が整理されているものの大量に置かれているので、意外と狭く感じる。照明は若干暗めだ。
 パイプに最も近い壁は入り口の正面にある最奥の壁だ。仕掛けるならそこだろう。
 二人は細心の注意を払いながら進む。死角が多く広いこの空間では火力が活かせない上、人数差も大きく作用してしまう。
 研ぎ澄まされた感覚がようやくその人物を捕らえたのは、自らその姿を現した瞬間だった。
「はじめまして」
 場違いな少女が場違いな挨拶と共に重機の陰から現れた。距離は一五メートルほどだ。
 唐突な出来事に二人は銃を構えたまま動きが止まってしまった。自分の感覚を過信していたわけではないが、あまりにその少女は場違いで、そして唐突に現れた。
 それでも二人はプロだった。少しでも不審な動きがあれば即座に撃てるように、銃口を少女へ向けトリガーに指をかけていた。
「……ハジメマシテ。まさかとは思うが、迷ってここに迷い込んだ、なんて寝ぼけたことは言わないよな」
 宗平は敵意と殺意を全身から少女に叩きつける。しかし、少女は臆することなくただ微笑んでいるだけだ。
 銃越しに宗平が少女を観察する。長いブロンドの髪に、透き通るほど白い肌と作り物のような深い青の瞳。それに反するように、喪服めいた漆黒のひらひらした服を着ている。年は幼く十歳前後に見えた。
「わたくし、ミリエッタ・フラウと申します」
 ミリエッタはまるで舞踏会で自己紹介するかのように、優雅にスカートの両端をつまんで持ち上げる。
「以後お見知りおくことは出来ないでしょう」
 姿勢を正し、やさしく微笑む。その笑顔のせいで、言っている言葉に真実味がまるでなかった。
 ゆったりと、何かを抱きかかえるように手を水平に持ち上げる。
「では、さようなら」
 腕を振り下ろし、前傾姿勢でミリエッタが突進する。低い障害物が多く光希からは狙えないほどの高さだ。しかし、宗平から見れば真正面であり、引き金を引くまでにも十分すぎる時間があった。
 真っ直ぐ突進してくるミリエッタに対し、宗平は冷静に狙いを定める。必中の距離まで引き寄せる。
 ミリエッタが一歩圏内に突入してきた。
 銃口は確実に頭を捉えている。迷うことなく、宗平は引き金を二度引いた。
 無いに等しい瞬間を隔てて、二度の金属音が場に響く。
 少女の両手に突然現れた開いた扇子が、二度の銃撃を防いでいたのだ。
 まさかそんなもので銃弾が防げるはずは無い。その常識が少女を宗平の懐へ潜り込ませる隙を作った。
 右手の扇子を閉じ、胸に向かい突きだされる。宗平がそれを一歩引きながらファイブセブンの強化されたグリップで叩き落した。
 硬い金属の感触。銀にきらめくそれは、どうやら鉄製の扇子――鉄扇のようだった。
 宗平が左手でSIGを取り出す。しかし、ミリエッタの次の動きは早い。
 叩き落された力を利用し、腕と上半身を風車のように半回転。左手に構えた鉄扇を袈裟切りに振り下ろす。
 宗平は身をよじって回避を試みるが、体がその動きを拒否した。息に詰まりながらも反射的にミリエッタを蹴飛ばして距離をとる。
 ミリエッタは自ら身を引きすぐさま受身を取る。しかし、宗平は無理な動きがたたって倒れてしまう。
「宗平!」
 光希が悲鳴にも似た叫びを上げた。すぐさま空いた射線に向かいSPWを連射する。
 しかし、それは一歩遅かった。ミリエッタは既に障害物の陰に飛び込んでいる。
 その瞬間を利用し、宗平が中腰で立ち上がり、光希の方へと振り返る。
 そして宗平は見た。その背後、遠くの闇にまぎれて振り落とされる銀光を。
「後ろだっ!」
 光希の反応は早い。声と同時に聞こえた風きり音から見えない背後の状況を察知。あらゆる防御手段の中から回避を選択。通路が空いている右へと跳んだ。
 同時に、光希の胴を確実に捉えていた軌跡に銀光が走る。
 それは投げナイフだった。それも、刃先の大きいクナイのような形状をした異質なものだ。
 失敗を知った投擲者は、すぐに場を離れて移動を開始した。
 それに対し、宗平が即時反撃に転じる。ファイブセブンを三射、SIGを二射。しかし、距離があるため銃弾が相手に当たることはなかった。
 相手が見えなくなると、宗平は銃を下ろした。
 次の瞬間、宗平と光希を分断するかのように、重ねられていた機材が崩れ落ちた。明らかに故意によるものだ。
 やられた。二人が同時に思う。この状況で戦力を割かれるのはまずい、と。
 宗平が機材を駆け上ろうとした時、機材にかけた手の横で先ほどのナイフが弾ける。
「心配しなくても、この場にいるのはフラウとわたくしだけですわ」
 振り向けば、先ほどの黒い少女が鉄扇で優雅に口元を隠して笑っていた。
「貴方は出会えないでしょうから、代わりに紹介しておきますわ」
 鉄扇を閉じ、瞬時に袖にしまう。そして、先ほどと同じく優雅にスカートをつまんで持ち上げた。
「貴女の御相手をさせていただく、アルエッタ・フラウと申します」
 まるで本当に場所を入れ替えでもしたかのように少女は言った。
「わたくしたち姉妹で、貴方と貴女の御相手をいたしますわ」

 まったくの同時に、本物のアルエッタも光希に対して同じ事を言っていた。
 機材は取っ掛りも多く、登れない事は無い。しかし、登る隙を見せればすぐさまナイフに串刺されるだろう。
 つまり、各個撃破か、どうにかして別ルートから合流せざるを得ないということだ。
 光希はアルエッタを睨みつける。それは、先ほどミリエッタと自己紹介をした少女に瓜二つの少女だった。双子だ。
 違いといえば、アルエッタのほうが同じような喪服でも少しフリルなどが多いことだ。つまり、物を隠す場所が多く作られた服ということになる。
 そうなると、先ほどの投擲者は彼女で間違いなさそうだった。
「ご丁寧にどうも。悪いけど、お仕事の邪魔はしないでくれるかな?」
「わたくし達も仕事ですの。ですから、それは出来ませんわ」
 袖口から出てきたナイフを弄ぶ。このご時勢に、なんて旧式な武器を使うのか。
 だからこそ油断は出来ない。自分は、あの武器と対峙したことが無い。それは思わぬ攻撃に対し、想像が効かないということだ。
 ならば、先手必勝。全力を持って、初手で潰して未知を現させない。
 機材の向こうから銃声が聞こえた。
 それを合図にしたかのように、光希がSPWを跳ね上げた。
 狙いは大雑把でもいい。とにかく、当てればいい。
 光希が引き金に指をかける。
 同時に、アルエッタが退きながら右手を高く掲げた。
 鈍い衝撃。
 光希の引き金を絞ろうとしていた右腕に、機材の一部がぶつかってきたのだ。硬く重いそれは、光希の手からSPWを剥ぎ取るのに十分な力を持っていた。
 何が起こったのか理解できない。今いえることは、丸腰ではどう足掻いても勝機は薄いということだけだ。しかし、落としたSPWを拾う前に、ハードケースに身を隠す。
 アルエッタがナイフを投擲したのだ。左右の計六本。ナイフが四本ハードケースに浅く突き刺さる。
 光希の視界の端に、驚いた表情を見せるアルエッタがいた。
「それ、頑丈ですのね。並のプラスチック製なら、貴女も串刺に出来ましたのに」
 光希の頬を冷や汗が伝う。頑丈? 冗談じゃない。そんな言葉で済ませられるほど、このハードケースは脆いものではない。マガジンとしても盾としても使えるように、軽量さよりも堅牢さを重要視した特注品だ。それは拳銃でさえ表面に傷をつけるのがやっとというほど、強固で堅牢な代物に仕上がっている。
 あのナイフ、人に当たれば串刺しではなく貫通するに違いない。人のことは言えないが、一体あの小柄な身体のどこにそんな力があるのだろうか。様々な思考が脳を駆け巡ったが、それをすぐに振り払う。
 余裕を失ってはいけない。そう自分に言い聞かせ、光希はアルエッタを見る。その顔には、光希と違い極上の微笑を浮かべていた。
「では、次にまいりましょう」
 何かを引っ張るような動作。すると、光希の背後にあった機材の一部が二つ、光希めがけて飛ぶ。先ほどSPWを叩き落したのと同じ現象だ。
 しかし、二度目の手で同じように焦ることは許されない。まずは向かってくる機材を打ち払うのが優先だ。
 光希は大振りにハードケースを振るう。
 二度の破壊音。外壁の補修に使われる頑強な板が圧し折れ、吹き飛ばされる。
 その光景を見て、今度はアルエッタが唖然とした。なんと言う馬鹿力。勘違いしていた。彼女の脅威はSPWではない。それを立った姿勢(スタンドポジション)で完全に制御しきる、その力にあったのだ。もしアレで殴られれば、下手をすれば挽肉のようになってしまうだろう。
 互いが互いの脅威を再認識する。油断するな。相手は、一撃必殺を持っている――

 宗平の間の前で礼を解き、ミリエッタは再び鉄扇を取り出していた。
 鉄扇。廃れた武器どころか、極めて珍しい、はっきり言えばキワモノの武器だ。
 閉じれば鉄の棒と同じで硬く重たいそれは鈍器となり、突けば肉を抉る。開けば面で攻撃を逸らす盾になり、扇の先は刃物と同じく相手を切り裂ける。
 話だけ聞けばそれは優秀な武器に聞こえる。防御重視で取り回しが良く、攻撃の選択肢も多々ある武器だからだ。
 しかし、そう世の中は巧くできていない。その特徴的な形状ゆえに扱いが難しく、攻撃力という意味ではかなり中途半端だからだ。防御力とて熟練しなければ高くは無い。
 しかし、少女はそれを武器として選んでいる。無謀でないことは先ほどの一瞬で理解できている。油断する理由は無い。
 距離があるうちに仕留めるべきだ。宗平はそう判断した。
 ファイブセブンとSIGを互い違いに撃つ。今度は鉄扇で防がせない。脚を、頭を、胸を、身体の端から端まで、広範囲を狙う。
 対して、ミリエッタは再び鉄扇を開き、弾を逸らす。身体の端から端まで、余すところなく防いだ。
 まるで舞踏だ。射撃を続けながら、宗平は思った。銃口から大雑把な射線を割り出し、それを防ぐように開いた鉄扇を差し込む。その動きが、優雅に扇で踊っているかのように見える。
 しかし、そんなことに気を配る余裕は残されていない。この距離で銃が防がれるのなら、至近距離で確実に撃つしかないが、相手は至近距離が最も得意な武器を持っている。
 逆にこの距離で仕留めるには、レイジングブルしかない。あの銃なら鉄扇ごと吹き飛ばせる。しかし、それを抜き放つだけの余裕をこの距離で作り出すのは難しい。一瞬でも銃撃が弱まれば、瞬時に懐へと潜り込まれるだろう。逆に至近距離なら、体術に織り交ぜて取り出すことも不可能ではない。
 結局のところ、選択肢は一つしか残されていなかった。
 鋭く息を吐き、大きく吸う。近距離戦はいわば短距離走だ。呼吸をする間もなく、一瞬で勝敗を決することが望ましい。逆に呼吸の瞬間は弱点となる。
 それを感じたミリエッタが微笑んだ。
 そして、まるで打ち合わせていたかのように同時に互いの懐へと飛び込む。
 先手はミリエッタだ。胸を打つような軌道で閉じた鉄扇を振り下ろす。それを宗平は先ほどと同じくファイブセブンのグリップで打ち払った。同時に手首を捻り、銃口をミリエッタに向ける。その腕を絡め取るように腕と鉄扇が動き、銃口をあらぬ方向へと向け、空いた手で脇腹を狙い鉄扇をなぎ払う。が、今度はSIGで真っ向からその軌道を受け止めた。
 一進一退。攻守がめまぐるしく変わり、互いの手がぶつかった瞬間には次に向けて違う動きを見せる。二手、三手先の読み合いの勝負だ。
 その動きは、傍目から見れば二人でダンスを踊っているようにも見えた。
 しかし、短距離走は長時間続けることが出来ない。十分以上の密度がある十秒の後、互いの得物が交差した段階で、両者の手が止まる。
 宗平の息が上がる。しかし、ミリエッタは先ほどと変わらぬ笑顔で微笑んでいた。
「やっぱり、伊達や酔狂でそんなもん得物にしてるって訳じゃないみたいだな」
「貴方こそ、銃でわたくしとここまでやれるなんて、なかなか出来ますわね。ですが……」
 ギリギリとミリエッタが力を込める。その力に押され、宗平の手がじわじわと後退する。
 ミリエッタの力は、確かに見た目からすれば強い。しかし、それでも体格、重量、腕力は宗平に及ばない。しかし、厳然たる事実として、宗平はミリエッタに力負けしていた。
「貴方は先ほどから、妙に身体をかばっていますわね。どうしてでしょうか?」
「さあ、どうしてだろうな」
「隠さなくてもいいですわ」
 ミリエッタがもう一段力を強める。その瞬間、宗平の身体に激痛が走った。
「貴方、どうやら肋骨を痛めているようですわね」
 それは、先ほどアサルトライフルで撃たれた箇所だった。タクティカルコートは衝撃を拡散して貫通を防いでいたが、その力を吸収しきることは出来なかった。その結果、広範囲の肋骨を痛めてしまっていたのだ。不良品、と言うほどではないが、改良の余地は残されていそうだった。
「言い訳はしないぜ。いつだって準備万端、って訳にはいかないからな」
「素敵ですわね。こんな状況でもなければ、ダンスにでもお誘いしますのに」
「いいさ、ここで踊ってやるよ。……いくらでもな」
「あら、勇ましいですわね。では、次の曲に参りましょうか」
 込めていた力を抜いて、ミリエッタが手を差し出すように攻撃を再開した。

 しばらく撃ち合いをして、光希はアルエッタの攻撃の特殊性を理解していた。
 あの超高速で放つナイフは、実は手で投げたものではない。どうやら腕に何らかの射出機構を隠し持っているらしかった。ガスか、火薬かは不明だが。
 超高速で直線的な攻撃と、手で投げる変幻自在の攻撃、この二択は受ける側にとってかなりの脅威だった。判別するには、射出機構を使うと鳴る極小さな炸裂音を聞き分けるしかない。
 さらに、ナイフにも種類がある。普通のナイフと、糸が仕込んであるナイフだ。
 糸それ自体のトラップ能力もさることながら、それによって周囲の物を操ることで効果的に使われている。さらに、その糸の巻き取りのために何らかの機構を隠し持っている可能性が高い。
「まったく、厄介ね」
 誰ともなく毒づき、周囲に目を配る。
 相変わらず気配が殆ど無い。いると知っているから辛うじて感じる程度で、場所まで把握することは出来ない。
 宗平と合流すべきだとも考えたが、どうやら事前に機材を移動して迷路のようにしてしまったらしい。合流が困難なうえ、完全に地の利はあちら側が持っている。
 小さな炸裂音と風を切る音が聞こえた。光希は反射的に身を投げ出して避ける。
 既に弾がなくなったSPWは光希の手にはなかった。死重量(デッドウェイト)になるために、手放したのだ。
 本来なら持っているだけで威嚇になるのだが、弾が切れたことをアルエッタが知っている以上、虚仮脅しにもならない無駄なものだった。
 身軽になったのはいいものの、これでは防戦一方だ。
「いい加減あんたもナイフが切れるんじゃないの?」
 返事を期待せずに声を上げる。すると、楽しそうに返事が返ってきた。
「あら、そんなことはございませんわ。まだまだ十分にありますわよ。ほら」
 小さな炸裂音。足場を狙い澄ました射出式の投げナイフが床に生える。咄嗟に身体を後方に飛ばして避ける。
 それが、致命的なミスだった。
 足にナイフが突き刺さる。激痛よりも、灼熱感が先行して体を襲ってきた。事前に投げられていた投射されたナイフだ。
 速度差を利用した避け難い一撃だったが、連戦の疲れがなければ十分に判断できたものだ。言い訳にしかならないが、それが光希には口惜しかった。
 そのままバランスを崩して床に転がる。ハードケースは衝撃で落としてしまい、遠くに滑って行った。致命傷ではないが、これで回避も防御も絶望的だ。
 それを理解し、しかし間合いを慎重に数メートルほど開けて、アルエッタが現れた。何とか身体だけは起こした光希を前に、顔には相変わらず笑顔が浮かんでいる。
「いい事を教えて差し上げましょう。貴女方は動力炉の制御に人員を向かわせるように指示しましたわね?」
「それがなによ。冥土の土産なんて流行らないよ」
 平静を装って返事をする。しかし、内心では筒抜けの情報体制か、存在する可能性のある内通者に対して毒づいていた。
「まあまあ。実はわたくし、冥土の土産を言うのに憧れてましたの。ですから、少しだけお時間をいただきますわ」
 笑顔で、しかし手ではナイフをもてあそびながら、アルエッタは言った。温和な言葉の裏には、有無を言わせぬ強制力があった。
「実は残ったわたくし達の同業者の方々が、それを阻止するために通路に潜んでいますの。ですから、制御室から止めてもらうのは望み薄ですわ」
「……へぇ、予定通りだったってわけ? こうなるのは」
「さあ、どうでしょう。少なくともここに爆弾が仕掛けられていると感付くかどうかは、五分五分といったところでしたわ」
 爆弾が仕掛けられているという言葉に、一瞬気持ちが逸った。しかし、確かに可能性は高かったといえ、この言動が絶対に正しいと信用することは出来ない。足止めが目的の可能性も十分あるからだ。
「爆弾が仕掛けられてるってのに、随分と余裕ね」
「そうでもありませんわ。ただ、わたくし達の仕事は最低でも解除されない程度の時間稼ぎですから、少しだけ時間にゆとりがあるのは事実ですけれども」
 そこまで話して、アルエッタはすっと手を持ち上げた。手には、先ほどからいじっていた特殊な形をしたナイフ。
「いよいよ止めってことかしら?」
「そうですわね。そろそろフラウのお手伝いもして差し上げないといけませんので」
 光希はその場から動こうとしない。それを見て、アルエッタが呟く。
「そもそも、わたくし達の雇い主は止められても成功しても己の望みは適うようなので、少し複雑な気分ですわ」
 腕を振り下ろし、ナイフを投げた。
 瞬間、光希の瞳に力が戻る。
 足に突き刺さったままのナイフを抜き放ち、アルエッタに向かい投げる。同時にその手にナイフが刺さった。
 無駄な足掻きを。アルエッタは取り出したナイフで光希の投げたナイフを切り払う。
 そして、そのナイフを投げようとした瞬間、光希の手に忽然と現れた黒い塊が目に入る。
 先ほどの戦闘で奪った安物の拳銃だ。いくら安くて精度に問題がありそうでも、この距離でなら何発かは確実に当たる。どこに当たるかは分からないが。
 まるでマシンガンのように、安物の拳銃の引き金を連続して引く。
 それを察知したアルエッタが再びナイフを投げる。
 光希は腹に灼熱のような痛みを感じた。致命傷ではなさそうだが、あまり激しく動けば危ない、ギリギリの傷だ。
 対してアルエッタは数発の銃弾を胸、腹、腰に受けていた。即死ではない。しかし、致命傷だ。
「おかしい、ですわ。わたくし、そんな銃、聞いて、いません……」
 アルエッタはそう消え入りそうな声で呟き、そして、崩れ落ちた。
「そりゃね、拾いモンだし。……これからは、こういう銃も馬鹿にしないで持つようにするわ。貴重な教訓をありがとね」
 腕と腹に刺さったナイフを抜き、とりあえず応急処置をしながら光希は嘯く。生と死がこの瞬間、明確に分かたれた。
 それは同時に、この瞬間が決着であることを示していた。

 殴り合いのようなインレンジでの戦い。
 一手間違えれば支払うペナルティは己の命。
 壮絶で、荒々しく、原始的で、見るものを魅了する死の舞踏。
 ミリエッタは胸を叩きつければ、宗平は銃を当てれば勝者となれる。
 しかし、その一手にたどり着くために、既に打ち合うこと百合余り。疲労だけが蓄積されている。
 しかし、双方とも息を荒げながら、なお打ち合いの苛烈さは増している。
 宗平がSIGで突き出された鉄扇を打ち払い、そのまま顔に照準し引き金を引く。しかし、下から跳ね上がってきた鉄扇により、SIGはあらぬ方向へと銃弾を吐き出す。
 その時、SIGのスライドが引いたままになった。弾切れだ。
「ふふ、銃のつらいところですわね」
「はっ、ちょうどいいハンデだろ?」
「やせ我慢はあまり格好良くありませんわよ」
 たしかに、状況は決して好転していなかった。
 激戦により悪化する胸の痛み。使えば使うほど消耗する弾。いくらフレームを強化してあるといっても限界が見え始めるファイブセブン。ただでさえ連戦であることを考えれば、スタミナは宗平が上でも現時点ではミリエッタが優勢なのだ。
 それを踏まえ、そろそろ最終局面に差し掛かっていることは双方理解のうえだった。
 しかし、宗平から仕掛けることは出来ない。あくまでこの場を支配しているのはミリエッタなのだ。ただでさえ片手が防戦以外に使えなくなった宗平では、攻勢に出るにはカウンターしか残されていない。
 しっかし、こいつは不味いかも知れねぇな、と、宗平は内心で毒づく。
 爆弾が仕掛けられているのなら、万一にも長期戦を望むことは考えにくいが、その万一を選択されたのなら、宗平に勝てる見込みは殆ど残されていなかった。
「よう、そういや俺の相方はお前の相方が相手してくれてるんだってな?」
「そうですわ。それが何か?」
「あいつとは長年連れ添ってるけどな、俺よりも強いぜ。今頃お前の相方、ヤバイんじゃないのか」
 嘘だ。長期戦を避けるための、宗平の挑発だった。
 しかし、そんな心を見透かしたかのように、ミリエッタはくすくすと笑った。
「そうですわね、この海上都市からの付き合いですから、もう八時間近くの長い付き合いですわね」
 宗平は小さく舌打ちする。
「なんだ、駄々漏れかよ。たいしたことねぇな、ここの危機管理能力」
「ご自身の雇い主を批判するのはあまりよろしくありませんわよ?」
「構わねぇさ。どうせアルバイトだ」
「それもそうですわね」
 もはや鈍器となったSIGで殴りかかる。しかし、その攻撃は開いた鉄扇に沿って流された。ミリエッタはその手を軸にするように一回転し、横なぎに鉄扇の刃先で切りかかる。
 そういえば、先ほどから自分たち以外の音が妙に聞こえなかった。極稀に耳に入る何かが破裂するような小さな音も、SPWも。
 そう思った瞬間、SPWとは違う、恐らく拳銃を連射する音が響いた。その音を合図にしたかのように、二人は再び膠着状態になった。
 そういえばあいつは安物の拳銃を拾っていたな、と、宗平は思い出した。それを使うということは、既に何らかの展開があったということか。ひょっとしたら、この音が決着なのかもしれない。
 その時、ミリエッタが唐突に涙を流した。絶えず笑顔だった顔には、冷静とも取れる表情が浮かんでいる。
 持っている鉄扇に力が入り、ひどく冷淡な声で呟いた。
「アルエッタが死にましたわ」
「見てもいないのに分かるのか? 俺を油断させるなら……」
「双子ですもの。半身が消え落ちたことくらい、どこにいたって分かりますわよ」
 双子だったのか、と、アルエッタを見ることがなかった宗平は意味もなく考える。
 再び微笑みのような顔をして、ミリエッタが言葉を続ける。
「でも、あなたの相方も相当な深手のご様子。お互い、増援は期待できそうにありませんわ」
「そうかい。ま、話半分で聞いておいてやるよ」
 ありがとうございます、と、ミリエッタは笑顔のまま言った。
 しばらくそのまま膠着が続く。そして再びミリエッタが口を開いたのは、一分以上たってのことだった。
「このまま睨みあっていても埒が明きませんわね。爆破の時刻も近いですし」
「なんだ、動かなくなったからてっきり死んだのかと思ったぜ。で、どうする気だ?」
「ミリエッタの仇も取らねばなりません。ですので、手負いの貴方に構うのはこれで最後にしますわ」
「つれないな。もう何曲も踊った仲だろ?」
「貴方はいい男でしたわ。私のダンスの相手では、恐らく一番だったでしょう」
 過去形かよ、と宗平が呟く。
 緩やかな空気。状況が違えば、喫茶店にでもいるかのようだ。
 しかし、その空気は一瞬で瓦解し、本性を現す。
 今までは嬲るつもりで防御に多く気を使っていたミリエッタが、その足運びを攻勢に転じた。緩やかな動きから、鋭く、細かく、刻むようなステップに。
 対する宗平も、痛む胸部を無視して全力でそれに応じる。胸に強烈な一撃さえ食らわなければ、激しく痛む程度で呼吸は出来る。
 ミリエッタの攻撃が、今までのカウンターにより力を倍加する合気道的な動きに、直線的な唐手の動きが加わったものに変わる。
 この瞬間が、宗平の狙いだった。搦め手で防御重視の今まででは攻勢に出た瞬間に潰されてしまうが、今なら強い攻撃にあわせれば十分に隙を作り出すこともできるだろう。
 ミリエッタの右腕が伸びるような身体全体を使った突き。身体をミリエッタから見て右へ逃がすも、SIGに当たり銃身から割れて壊れた。むき出しの手に破片が突き刺さる。
 しかし、身体全体を使う攻撃は隙が出来やすい。死角である右に回りこめたのはこのためだ。即座にSIGから手を抜き、ファイブセブンで叩いてミリエッタの顔に弾く。
 そして、瞬時にコートを跳ね上げ、左腿のレイジングブルを掴む。そのままホルスターごと捻り上げ、発砲。
 身体全体を重い衝撃が駆け抜ける。
 しかし、それはミリエッタの身体に当たっていない。後ろに回した左の鉄扇で、銃口を突き弾いたのだ。
 そのまま左手を宗平の脇の中に突き入れ、瞬時に足の位置を変えて跳ね上げる。すると、倍近い体格差がある宗平がふわりと浮き上がった。払い腰の要領だ。
 バランスは崩した。後は胸にこだわる必要はない。頭から床に叩きつけ、頭なり、咽なりを潰せば勝ちだ。これで、アルエッタの仇をとりにいける。
 宗平の顔が自分の前を横切る。その表情は、笑っていた。
 ミリエッタの胸に固い感触がぶつかる。
 その瞬間、二人は声を解さずに、互いに意思疎通が出来ていた。
 レイジングブルに気を取られすぎたな――
 宗平が頭から床に落ちる直前、一発の銃弾によってミリエッタは息絶えた。


 後に宗平が目覚めた頃には、全てが終わっていた。
 動力炉制御室への通路に潜んでいたテロリストは全滅。それを聞かされた残党は次々と投降し、事実上の制圧となった。
 結局爆弾は爆発し、パイプは破損。大きな被害を出したが、管制室に人員が戻ったことで別のルートから水源を確保。修理までの一ヶ月ほど水の使用が制限されるものの、大事に至るほどでもなかった。
 連日テレビでは真相追求番組が組まれ、これだけの規模のテロが起こったにもかかわらず被害者ゼロ、被害自体も一千万円もかからない程度の修理で済んだことを、手放しに褒めるコメンテーターなどが目立った。
 それらに付随して、海上都市の破壊を頼んだとされる企業各社に対するバッシングも行われ、いくつかの企業は取引停止が相次ぎ、たった数日で倒産が確定するほど追い込まれた。
 また、その事件の後テレビに影響されたのか、海上都市への移住希望者は二倍近くまで増えていた。
 そう、社会的にはこれでこの事件は終わりだった。
 しかし、それで納得せず、自分たちに美味しく使おうと思う人物も、中にはいた。


 一週間後、まだ包帯を巻いたままの宗平と光希が、ある会社の応接室にいた。
 その顔はまるで違っていた、というより別人のものだった。変装しているのだ。
 目の前の豪華なテーブルには録音機。それを隔てた先には汗を滝のように流す、いかにも重役といった風体の男がいた。
 その男は先ほどまで「証拠はあるのか!」「警察を呼ぶぞ!」「会ってやっただけでもありがたく思え!」などなどわめき散らしていたのが嘘のように、小さくなっている。
「どうすれば黙っていていただけますか……」
 その野太い声に似合わない、丁寧な声で重役風の男は話す。
「先ほども言ったように、私たちは別に脅迫に来たわけではないんですよ。ただ、ことの真相を知った以上、確認に来るべきだと思っただけですから」
 光希が変装した女性の顔で話す。
「ただ、この情報はどこの会社で、どれぐらいで買ってくれるか、査定して欲しくて来たのですよ。貴方の会社が作った海上都市のことなのでね」
 この会社は海上都市の開発と製造をほぼ独占する企業の本社だった。
「まさか自作自演で動力炉を壊そうとするなんて……」
 髭のオッサンになっている宗平の一言に、重役風の男があわてて周囲を見る。誰もいないことは承知の上だったが、それでも心理的に恐怖を覚えるのだろう。
 そう、あの海上都市制圧、及び破壊未遂事件の黒幕こそ、この企業だった。
 気がついたのは事件後、いろいろ調べ始めてからだった。
 騙されていることは分かっていたが、それが知られると不味い情報を隠すためのものなら別に問題は無い。便利屋相手には良く使われることだ。
 しかし、どうも気になって興味本位で自分たちと話したオペレーターの一言の言質を取るべく、軽く探りを入れる程度に調べてみたのだ。
 ところが、自分たちを担当したオペレーター以外の関係者によれば、確かにタレコミはあったが、それは『テロリストの目的は海上都市の破壊』ということだけだった。爆弾を仕掛けた部屋があるなど、一言も言われていないらしい。
 それで不信感が爆発し、考えなおしてみれば、いろいろ不審な点に気がついた。
 確かにライバル企業の嫌がらせというのは、十分考えられることだ。しかし、それでは途中で考えた都市管制にウィルスを打ち込んでも、動力炉を停止しても、最悪、地表部分で爆発事件が起こっても評判は十分に落とせたはずだ。それをしないのは、よっぽどの阿呆か、ライバル企業の仕業ではないかだ。
 では、ライバル企業以外でこれをする意味のあるのはどこか。
 それは、今回まさに一人勝ちといえる、この独占企業しかなかった。
 そう考えれば、人的被害が出るのはアウトだから、人質は取らないのもうなずける。爆弾という解除が出来て猶予がある方法を取ったこともある程度納得がいく。
 さらに、アルエッタが言った、成功でも失敗でも依頼人の目標は達成される、という旨の言葉や、さも自分たちの武装を知っていたかのような死に際の台詞も、この企業に嫌疑をかけるには十分だった。
 失敗した場合は、まさに今の状況そのまま、企業にとっては大成功だ。成功の場合も、最終的に部隊を制圧させ『爆破されても沈まない海上都市』というイメージの植え付けや、修理のためにまた莫大な資金が転がり込むという結果になる。
 また、それらの状況で確実に出るであろう不利な情報も、今や大企業となったこの企業にとっては隠蔽も楽なものだろう。現に、特番ではこの企業を褒め称えるような内容しか殆ど放送されておらず、不利な内容も当たり障りの無い程度でしか出てこない。
 それに、武器の持込の際は申請が必要となるが、その内容を知っているのは申請書を見る役人と、実際にそれを通す海上都市のスタッフだけだ。それなら、細かく武器を知っていても不思議ではない。
 それらの事実を引っさげ、自分たちに応対したオペレーターに、少しだけ怖い目にあってもらったところ、あっけなくぺらぺらと証言を開始した。
 それが、机の上に載っている録音機の中身だ。当然コピー品で、本物は自分たちしか知らないところに隠してあり、もし何かあれば公表されるようになっている。
「で、この情報はどこで、いくらぐらいで売れるんでしょうか?」
「まあ、ここで評価が低ければ二束三文でいろんなところに売りさばくつもりですがね」
 重役風の男が、今回の報酬の十倍以上の値段でこの情報を買い取り、今回のあおりを受けて潰れた企業と統合して救済することを約束するまでに、さほど時間は必要なかった。


「あー、すっとした。なんか善い事した気分?」
 その企業最寄の空港で、変装をといた光希が身体を伸ばしていた。
「馬鹿言えよ。ただの恐喝だろうが」
 宗平は、缶コーヒー片手につっこむ。顔は笑顔だ。
「違うね。正当な対価と、腐った企業体質に渇を入れてあげたんだよ」
「ま、そういうことにしておくか」
 宗平はコーヒーを一啜り。甘い。ブラックにするべきだった。
「で、これから宗平はどうするつもり?」
「あ? 別に変わらねぇよ。怪我が治ったらリハビリして、すぐに仕事だ」
「真面目ねぇ。なんにそんなに使うのよ」
「別に使わないな。貯金してるだけだ」
 光希は思わず吹き出す。
「似合わないなぁ。もっとこう、派手に使ってるのかと思った」
「まあ、この稼業だっていつまでも出来るわけじゃないしな。あって損はないだろ」
「それもそうだけどね……」
 宗平は空になった缶コーヒーを握り潰した。力を入れると、胸が鈍く痛む。
「あ、私、そろそろ時間だ」
「そうか」
「宗平、『そうか』だけ? もっとこう、感動的なことはいえないの?」
 そういわれて宗平は少しだけ考えて、言葉を口に出す。
「長生きしろよ。そうすりゃ、また組む機会もあるだろうさ」
「……そうね。あんたこそ長生きすれば、また私と組ませてあげるよ」
 お互い、笑顔で相手を見つめて、手をたたきあう。
 それだけで、別れの挨拶は終わりだった。

 ちなみに、実は次の仕事でもバッティングしており、なし崩し的にチーム化していくことになるのだが、それはまた別の話である。

<おわり>


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